「私は神の恵みを、無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」ガラテヤ人への手紙 2章21節 (2017新改訳)

2章の前半はパウロは自分が異邦人に福音を伝える使徒として使命を受けていること、それも人ではなく主によって任じられていることを語ります。
その与えられた使命は主によって与えられた恵みであることを示します。
そしてパウロの弟子であり同行していたギリシャ人であるテトスにさえ割礼を強いられなかったことまでを語ります。
それはガラテヤの教会に忍び込んでいた偽教師たちが、異邦人に割礼を強制し、モーセの律法を守ることを強制していたからです。

異邦人に割礼を強制し律法を守ることを命じるのは、単なる信仰生活の方法を間違えたということでは終わりません。
福音の根幹を変えてしまう間違いです。

もし律法を守ることで自分が罪のない正しい人であることを証明しようとすれば、それはイエス・キリストの福音を無にします。
律法守り行いによって義を獲得することはできません。
イエス・キリストを信じることでのみ義とされます。
それは行いではなく、恵みです。
恵みとは、神から一方的に与えられるものです。
私の行いや私の能力と言ったもので獲得するものではありません。

行いによって得ようとして割礼を強いていくなら、それは私のために十字架で死んでくださったキリストの死を無にすることです。
なによりも大切なものは、イエス・キリストの恵によって罪が赦されて救いが与えられていることを信じ続けていくことです。
恵みは行いに勝り。
恵みは私の欠けを満たし。
恵みは神の愛によって保証されており、
恵みは失われることはありません。
シャローム