「彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死ぬことのないようにするためである。」 民数記 4章20節

宿営が旅立つ時の手順が厳しく命じられます。
あかしの箱は、おおわれて、担ぎ棒を通します。
聖なる箱に直接触れることがないようにするのです。
勝手に触れたり見たりすれば、死ぬことになるのです。

そしてこの作業はアロンとその子らがします。
さらに運ぶのは、レビ人の中でもケハテ族に限られます。そのため18節には、ケハテ族を絶やしてはならないと命じられるのです。

このような方法と手順は二つのことを教えてくれます。
1つは、確かに主がご臨在くださり、イスラエルの民とともにいてくださるということです。
祭壇、幕屋は、ただの象徴的な場所ではなく、そこに主がおられるのです。

も一つは、主がともにいてくださるけれども、主はどこまでも聖なる方だということです。
イスラエルの聖なる、聖なる、聖なる神に私たちは近づくことはできないのです。
この手順とアロンとケハテ族だけが担当することが命じられるのは、主が聖い方であることを教えます。

私たちは礼拝をし、礼拝の準備をするたびに、主がともにいてくださる方であることと、聖い方であることを覚えるのです。
そしてこの神様に愛されていることの喜びを味わうのです。
準備のうちにも主の愛と聖さがあるのです。

シャローム