「主は、イスラエルの父祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられた。彼らはそれを占領し、そこに住んだ。」ヨシュア記 21章43節 (2017新改訳)
割り当て地の最後は、祭司であるレビ人への町とその周辺の放牧地を決めて終わります。
レビ人は、自分たちの所有地を持ちませんので、各部族の中に住みます。
しかし他の部族と同じように、くじを引き決めて行くのです。
ここに各部族の中に割り当て地が決められたことが記されます。
そして主は、宣言をされます。
与えると誓った地をすべて与えられた。
続く45節では、主が告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現したと、記します。
主の約束が完了したことが宣言されます。
実は、ヨシュアの時代、この時にはまだ未完了なのです。
戦わなければならない土地が残っています。
完了するのは、ダビデ王の時代を待たなければなりません。
しかし主の目には、完了しているのです。
この時、イスラエルに人たちには、未完了、途上であっても、主の目には完了して終わっています。
後は、イスラエルの子ら、信仰者が主のことばに信頼して、従うだけです。
完了したと宣言された主ですが、イスラエルの子らの戦いにはいつもともにいてくださるのです。
完了したと言って離れて行かれたのではないのです。
私たちの目には、まだ完了した姿が見えていないけれども、主の目には見えているのですから、完全な形にするのです。
完成できるのです。
私たちの信仰も完成に向かって進みます。
罪人が赦されて、少しづつきよめられて聖化の段階を進みます。そして最後に再臨のイエス様と再開して栄化されて完成します。
それまで失敗や欠けが多い信仰の生活を送っても、主の目には、私の信仰の完成の形は完成した形が見えて完了しているのです。
「まことに、まことに〜信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています」と、ヨハネの福音書5章24節でも、完了したことばとして主は語ってくださっています。
シャローム