「救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。こうして、王国は主のものとなる。」オバデヤ書 21節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、オバデヤ書です。

オバデヤに啓示された預言が記されています。短い預言書です。
オバデヤに関する資料が少ないため、執筆の時代などは諸説あって不明です。
ヨラム王の治世の時代、或いは、ネブカデネザルによるユダ攻略を指しているとも言われますが、決定的な証拠がありません。
いずれにせよ前半は、エドムに対する主のさばきを語ります。
後半は、全世界が主のさばきを受けることを語っています。

エドムとは、ヤコブの兄エサウの子孫です。
死海南東に国を持つ彼らですが、その首都はセラ、切り立った岩場の高台にあり、そこに至る道は細く、町を攻めるのは難しかったのです。
地理的な有利さもあり、交易で栄えたので、豊かで難攻不落の首都を持つことで、エドムは高慢となります。
ダビデ王の時代には、イスラエルの支配下にありましたが、ヨラム王の時代にはユダの支配から離れます。
そして豊かさを誇り高慢になったエドムは、主のことば通りに、その後、アラビヤ人によって領土を失い、首都は崩壊するのです。

難攻不落の町、豊かで発展した国という、力を誇り、他者に対して高慢となり、神に対しても高慢となっていくのは、現代にも通じることです。
切り立った高い岩壁に守られて、細くて進みにくい道は、現代の高度な技術を象徴的に示すのかも知れません。
3節の「高い所を住いとする者」との、表現は当時より高く、宇宙にまで飛び立った現代の技術を誇る人の心のことかも知れません。
エドムの町は、かつて美しかった町の廃虚として今もその姿がありますが、天の御国は廃虚とはなりません。
その輝きと豊かさは永遠なのです。

しかし高き所、天を住いとし、星々を造られ、今もその運行を支える神をあがめることができる謙遜な人が、真の豊かな人だと言えるでしょう。

選びましたのは、後半15節からの預言の最後のことば、短い預言書の最後のことばです。
エドムを示すエサウの山だけではなく、シオンの山の名前を出すことで、全世界に主の支配が及ぶことを示すのです。
人の高慢さが溢れて行く時、主のさばきが行われます。
それはエドム、ユダだけでは終わらないで、全世界に及びます。
そしてさばきの後、主の回復と祝福があるのです。

この預言のことば「王国は主のものとなる」は、御子が人となって地上に生れてくださり。
十字架の上での贖いの死と復活を遂げられた今、実現しています。
高い所に住むことを誇る者は、真の高き所から降りてこられた御子によってさばかれ、御子を信じる者、自分を低くすることができる者は、やがての日に、真に高き所である天の御国の住民として迎えていただけるのです。
主のことばは実現し、確かなものとなります。
シャローム