「それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐を軽んじているのですか。」ローマ人への手紙 2章4節
自分は、律法を知っていて正しい行いをしていると自負する人は、律法を知らない人をさばきながら自分の正しさを誇る人だと、パウロは言います。
律法と信仰。行いと信仰。
パウロは律法と行いを誇る人は、その人の心に神様への信仰がないことを指摘します。
アダムが罪を犯してから、私たち人はみんな、誰一人漏れることなく、本来ならば即座に神様の前に有罪であって、滅びるはずの存在です。
しかし、今、たくさんの恵みがあるこの世界で生きているのは、神様の私に対するいつくしみと忍耐の結果です。
神様は神様の前に有罪の私を、滅ぼすのではなく悔い改めて生きるようにと、いつくしんでくださっています。
そして悔い改める時を、忍耐を持って待っていてくださるのです。
それは有罪は確定しているけれども、刑の執行が猶予されている身分です。
しかし、罪深い私たちは、自分の正しさを誇るばかりで、神のさばきは無いと考えて好き勝手に振る舞っています。
執行猶予の身分であるのに、悔い改めることもなく好き勝手に生きているのです。
それは神様のいつくしみと忍耐を軽んじることです。
神様はいないのではなく、いつくしみと忍耐をもって、さばきの座から現われるのを待っていてくださるのです。
与えられている時間を有益に使いたい。その時間も牢獄ではなく恵の多い世界で生かされているのですから。
時間と恵みを覚える時、神のいつくしみと忍耐が私に注がれていることを感謝して、ふさわしく生きたいものです。
シャローム