「「イスラエルの子らのすべての長子の代わりにレビ人を、また彼らの家畜の代わりにレビ人の家畜を取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である。」 民数記 3章45節

レビ人に関して、細かく定められています。
レビ人が、どれほど大切な使命を受けているかを、4節で、アロンの二人の息子が、荒野で異なる火を献げて主に打たれたことを記します。
最悪のレビ人としての罪を隠すことなく、もう一度公にして、レビ人の使命を示すのです。

そしてここで大切なことばはこれです。
「レビ人はわたしのものでなければならない。」
わたし、主のものとは、レビ人が主のために生きるのだということを示します。

レビ人とは、祭司とは、単に礼拝所、聖所で働く人のことではありません。
主のために生きる人なのです。
ですから、主のものです。他の存在のいかなるものにもレビ人は近づきません。

主だけを愛し、主に仕える。
それは主だけを愛し、主のことばだけを聞く、私たちの生き方でもあります。
今日は、礼拝の日曜日です。今日、聞くことができる主のことばを大切に聞いて、私のうちにしっかりと留めたい。

シャローム