「イスラエルの子らは、それぞれ自分たちの旗のもと、自分の一族の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の周りに、距離をおして宿営しなければならない。」 民数記 2章2節

特等席はどこになるのか?上席はどちら側になるのか?どの部族の隣なのか?
きっと人が場所取りを決めようとすれば、そのようなことを考えてしまって、争いが起きそうです。
主は、荒野の旅でイスラエルの子らが、宿営をする時の配置まで命じます。

旅の足を進めるための前方は、東側と定めておられ、その最初にユダが選ばれてから、東西南北に各部族が三部族づつです。
そしてその内側、即ち会見の天幕の周りには祭司であるレビ部族が宿営します。

この配置に主の配慮を感じます。
一つは「秩序」です。
過酷な旅を続けるためには旅団が秩序を保たなければなりません。
その秩序は、主を中心にして、主が命じられた場所から始まるのです。
すべての部族に公平です。それはすべての子らに主の愛と恵みがあることを示します。

次には主の聖さを覚えることです。
会見の天幕から距離を置くことで、むやみに自分勝手に主のところに近づくことがないように、祭司が配置されるのです。
自分勝手に近づけば、主に打たれてさばきを受けることになります。
主の聖さと主のことばに従うことを宿営する場所からも日々、忘れないようにするのです。
旅の疲れから、ぼんやりと眠るのではなく、自分たちの旅、日々の中心には主がおられることを覚えるのです。
そしてここでも子らの人数が数えられており、主の愛が一人一人に届いていることを知ることができます。

主の聖さと秩序が、私の毎日の旅にも必要であり、心に覚える必要があることを教えられる宿営の配置です。

シャローム