「しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」士師記 16章22節 (2017新改訳)

 

サムソンは、遊女ののデリラを愛します。
主に仕えるナジル人が、外国人の遊女と関係を持つなど、サムソンがどれほど乱れた生き方をしているのかが分かります。
しかし、サムソンはペリシテ人に憎まれています。
彼らはデリラを銀千百枚で誘惑したり、脅かしたりしながらサムソンの力の基を探らせます。
三度は、デリラを欺いたサムソンですが、デリラの言葉に敗けて、髪の毛に力があることを告白してしまい、ついに捕らえられます。
ペリシテ人は、サムソンの目をえぐり出し、牢で重労働を負わせて、復讐を果たします。

髪の毛を自分の愚かな行動で剃り落とされて力を失ったサムソンでしたが、捕らえられている期間が、彼の悔い改めの期間となりました。
ここには明確に「髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」と、あります。
失敗をしたあの日から、もう一度、主は、サムソンに立ち上がる機会を与えようと、備えてくださっているのです。

私たちは失敗をします。大失敗もします。
その失敗は消し去ることはできません。戻れないのです。
しかし、主があわれみ深い方であることを信じて、もう一度、主の前を歩みたいと願い、待つならば。
失敗したその時から、主は、回復と赦しを与えようと備えてくださるか他であることを経験できるのです。
その恵みは、失敗した、罪を犯す前の恵みよりも、さらに大きいものとなります。
それが主の恵みの素晴らしさです。
人にはそれは理解できない。でも、受け取ることが許されています。
シャローム