「来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。」テモテへの手紙 第1 6章19節

キリスト者と呼ばれるイエス様を救い主と信じた者の信仰生活、日々の生活に関して教える中で、手紙の最後にパウロが記す言葉です。
「来るべき世において」
前の18節では、立派な行いに富むように命じています。
他にも、敬虔で日々を喜びと感謝のある満ち足りた生活を送るようにも命じています。
しかし、この教えは倫理道徳的に良い行いに励みなさいということではありません。

私たちは、必ず死にます。
この地上、今の人生の終わりの日を迎え、すべての人が死にます。
では、いつ訪れるか分からない死を恐れたり不安になったりするのでしょうか。あるいは、そのことは考えもしないで、今の人生を楽しみ、謳歌すれば充実した日々を送ることができるでしょうか。

聖書が教える人生は、来るべき世についても心を向け、行動することを教え、命じます。
死は終わりではなく、来るべき世において、イエス・キリストとともに生きるようになることを教えます。
その時になって後悔したりすることのない生き方をするように教えます。
まことのいのちを得るようにとは、まだ、得ていないから完成させなさいということでありません。
約束されたまことのいのちを受け取るのにふさわしい者として、今の世においてもイエス様に倣った生き方をすることで、来るべき世に備えることです。
信じた者としてふさわしい生き方、来るべき世に生きることが約束された者として、今すべきことを行って、確信と平安をもってイエス様に再会することを求めるのです。
死がすべての終わりではなく、来るべき世における備えでもあるならば、すべての始まりでもあります。
漫然と再会の日を迎えるのではなく、来るべきその日に備えて蓄えるべきものを蓄えることを心に留めたい。
今日すべきことがあり、今日すべきことは、来るべき日の備えと蓄えとなることを覚えます。

シャローム