「ほむべきかな 主。 主は私の願いの声を聞かれた。」詩篇 28篇6節

三つのことを見つけました。
一つ目。 5節に「御手のわざも悟らない」と、あります。
主を信じていない者は、物事の背後、困難の解決に主の助けがあったことを見ることができません。
ですから、自分の力に頼るしかありません。それ故、罪を犯すのです。
見えない主の御手を信じて歩める信仰者は平安なのです。

二つ目。 「願いの声を聞かれた」6節が、詩の真ん中にあります。
願いを求めます。
1節、9節と、願いで始まり願いで終わっていますけれど、助けの確信があるのです。
主が必ず助けてくださると信じて祈ることができるのは幸いです。
ですから、助けが来る前から賛美の声を上げることができます。

三つ目。 願いで始まり、願い出終わりますが、その願いは大きく変わっています。
1節で、自分の助けを求めた詩人は、最後の9節では、民全体の助けを求めるのです。
自分だけの助けではなく、民全体、隣人の助けを求める心があります。
それは主の助けを確信しているからこその願いです。
民の救いが、自分の助けとなり、平和となることを知って求めるのです。

主を信じ、助けを確信しているからこそ、助けを祈り求める詩人です。
そして賛美の声を上げることを忘れません。
願い、賛美、確信、隣人のための執り成し。
このような祈りの声を常に上げられる者でいたい。
シャローム