「完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、」ヘブル人への手紙 5章9節

8〜9節はイエス様のことを示しています。
そして、2〜3節のアロンの子孫である選ばれた人間の大祭司のことを示している箇所と対を成しています。
即ち、大祭司は、民の代表として選ばれた人ですが、人の故に、当然のことですが弱さを持っています。
しかし、イエス様は神が人となった方ですから、本来ならば、弱さを持つ必要もなかったのですが、すべての点において、私たち人と同じになるために、様々な苦しみを受けて、従順を学ぶと同時に人の持つ弱さも経験してくださったのです。
そして、人間の大祭司は、その人自身が罪を持っていますから、毎年、自分のためにもいけにえを献げる必要がありました。
しかし、この点においてイエス様は始めから終わりまで、罪を持たない方でしたので、完全な方でした。ご自分のために父なる神様にいけにえを献げる必要などまったくありませんでした。
それ故、完全な者ななっています。

そしてこの完全に罪がない方が、ご自分の命をいけにえの献げ物として、献げてくださったので、私たち人の罪が完全に赦されてきよくされる道が開かれたのです。

ですから、私たちはイエス様が私のために死んでくださり、罪を贖ってくださったと信じることで赦されるのです。
この方に従うとは、イエス様を救い主と信じて、イエス様の言葉に従って生きることです。
そうする時、私たちは変質することのない救いを完全に得た者となって、新しい生き方を始めていくのです。

私は、不完全ですが、私が信じるイエス・キリストは完全な方です。
それはこの喜びが完全なものであることを約束しています。

シャローム