「彼らに言え。 わたしは生きているー主のことばー。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。」 民数記 14章28節

「私の耳に語った」とは、カナンの地に偵察に行った10人の主に信頼しなかった報告を聞いた民が、荒野で死んでしまえば良かったと、呟いたことを示しています。
そのとおりに、ヨシュアとカレブ、そして次の世代の子どもたちを除いて、民はこの後、荒野を40年間放浪して死ぬことになります。
約束の地に入ることができないのです。
主への不信の罪によってさばきを受けるのです。

今朝、覚えたいのは「わたしは生きている」「私の耳に語った」ということです。
呟き、不信と不満の声は、単なる声ではないのです。
私たちを愛してくださっている主は生きておられます。
聞いていてくださるのです。

祈りは、自己満足の声ではない。独り言でもない。
主への会話でもあります。
そして、私たちとともにいてくださる方は、生きておられて聞いていてくださるのです。

主が聞いていてくださると信じて、安心して祈っているだろうか。
主に祈りの声を届けているでしょうか。

不満の声を上げる前に、助けの祈りの声を上げているでしょうか。
呟く前に賛美の声を上げているでしょうか。
今朝、このときも主は、あなたを愛して見守り、あなたの声を聞いていてくださるのです。

主は生きておられます。
生きておられる主が、あなたの声を聞いていてくださる。

シャローム