「当時、主はアモツの子イザヤによって、すでにこう語っておられた。「行って、あなたの腰の粗布を解き、あなたの足の履物を脱げ。」彼はそのようにし、裸になり、裸足で歩いていた。」イザヤ書 20章2節
預言者イザヤによる特徴的な預言が示される20章です。
「裸になり、裸足で歩いた」とは、人々がその力を頼りとしていた大国のエジプトと同じく大国のクシュ(エチオピア)が、主のさばきの結果、力を失い、裸にされて恥を見るようになることを示します。
即ちこれは、イザヤの生活、行動で預言を示す「象徴預言」行動なのです。
特徴的で、興味深い預言の語られ方です。
また、主のことばに誠実に聞き従い、どこまでも仕える預言者とは、このように自分の裸を晒して主のことばを伝えるのです。
主のへの全幅の信頼と、主のことばに最後まで従い通す覚悟がここにあります。
驚くような行動さえも、主のことばに従っておこなえるイザヤの覚悟に倣いたいものです。
イザヤは民主の前で裸と裸足をさらすことで、恥をかいたように見えますが、そうではないのです。
神、主を信頼しなかったエジプトとクシュが、この後で滅び、裸にされ、裸足で歩くこととなり、全地に恥を晒すのです。
また、神ではなく大国の力を頼りとした人々も打ちのめされて、恥を見るのです。
私たちが、イザヤのような象徴預言をすることはないのでしょう。
しかし私たちは、頼りとし期待するのは神、主だけです。
そのようにして歩めば、私たちは困難を通ることはあっても、打ちのめされて恥を見るようなことはないのです。
頼るべきは主。聞くべきは主のことば。
そこには恵みと回復、平安があります。
私たちの象徴的行動は、礼拝を献げ、聖書のことばに聞く毎日そのものが現しています。
シャローム