「主よ お知らせください。 私の終わり 私の齢がどれだけなのか。 私がいかにはかないかを 知ることができるように。」詩篇 39篇4節
病であるのか、生活の困窮であるのかは不明ですが、今、詩人は苦しみのただ中にいます。
少なくとも、詩人の周りには神を信じないで、詩人を苦しめる人がいるようです。
その苦しみの中で、詩人が選んだのは、沈黙です。
沈黙して、余分なことを話さず、弁明や他人への批判を控えることは大切なことです。
しかし、この時、沈黙は詩人の苦しみを取り去り、慰めることはできませんでした。
痛みは増し、心は苦しみついには叫ぶのです。
主に叫びます。
知らせて欲しいと、叫ぶのです。
自分が後どれだけの日数を生きることが許されているのかを教えて欲しいと声を上げました。
絶望したのではないのです。
自分の終わりの日を見据えて、今この時をしっかりと生きたいという願いです。
いずれにせよ。全能の神の前にははかない存在である自分を知っていますから、知りたいのです。
苦しみの中でさえ、はかなく短い人生の中でも、自分が何をすべきか、どう生きるべきかを知りたいのです。
詩人は、7節からの個所で主への信頼を告白します。
残された自分の地上での人生がわずかな日数であっても、主がともにいてくださり、主が声を掛けてくださるのならば、詩人は慰められるのです。
満たされて、今と、これからを生きることができます。
じぶんのはかなさを知ることと。
そのはかない自分と主がともにいてくださることを知ることが、大切なののです。
シャローム