「モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。」 民数記 12章3節
姉のミリアムのモーセに対する非難の声が上がります。
正当な理由をつけているようですが、本心はモーセへの嫉みも大きいのです。
その非難の声に対して、モーセは弁明をしません。
聖書は、モーセが柔和であったからだと教えます。
弁明、ミリアムに対する反駁は、主がされます。
主は、モーセとは特別に語り合うのだと教えます。
主がモーセを選ばれました。
ミディアンの地、神の山ホレブで、語りかけ召して、遣わされました。
モーセが何者であったからではなく、優秀であったからでもなく、主が選び出したという真実をミリアムは忘れています。
主が自分を召したことを、モーセは謙遜に受け止めて使命を果たしているのです。
柔和であったとは、誇らず、高ぶらず、謙遜に仕えていることを示します。
ミリアムと争わなかったから、柔和なのではないのです。
主に選ばれたこと、召されたことを謙遜に受け止めることが大切です。
この後、モーセは主に打たれたミリアムのためにとりなしの祈りをします。
謙遜と柔和な行動です。
主もまた、ミリアムをさばかれますが、捨てておかないで民の中に戻します。
ミリアムが戻されてから、民は旅立つのです。
忍耐強く、寛容な主の前に、私たちは謙遜に歩み続けたい。
シャローム