「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」ピリピ人への手紙 2章3節 (2017新改訳)

パウロは、ピリピの教会にはこの時、党派心を持って教会の中で自分を誇る人や他の人を顧みない人たちがいることを知って、憂いていました。
そのような人は、イエス様によって罪が赦されて神の子どもとされたにも関わらず、以前と変わらない生き方をしていることになります。
1章17節には「党派心」、ここには「利己的」とあります。
そのような生き方はキリストに従う人の進むべき道ではないのです。
イエスを愛し、キリストに従う人は、続く4節にあるように「ほかの人のことを顧みる」生き方をします。
それは8節にある通り、イエス様が十字架の死にまで従われた生き方に倣う歩みです。

みことばに従順で、謙遜になり、同じ信仰者同士で愛し合い思いを一つにして、キリストに従うのです。
それはこの時、教会から派遣されて命の危険を冒してなお、パウロを助け教会の兄弟姉妹のために尽くそうとしているエパフロディト(25節〜)のような生き方です。

そのような生き方をパウロはここ12節では「救いを達成するように務めなさい」と書き送りました。
イエスを信じたその瞬間に、私たちの救いは完成しており、完全で何も付け足すことはありません。
行いによって救いは完成しません。
しかしパウロは、信仰者の生き方を示したいのです。
自分のために生きる生き方から、キリストのために生きる生き方への変革です。

罪から救われて永遠のいのちをいただいた福音の喜びは、それで終わりません。
イエス様の足跡に倣い、信仰者は思いを一つにして、隣人を愛する生き方をするところに喜びが続いていくのです。
利己的、党派心、虚栄とは離れた、キリストに従順な生き方をする人を、主は高く上げてくださり、終末の日に喜び向かえてくださるのです。
それはこの時、殉教の危険の中投獄されていても、感謝と喜びが失われないパウロに見ることができます。
シャローム