「死の恐怖によって一生奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」ヘブル人への手紙 2章15節
人は必ず死ぬ。すべての人が死ぬ。
それを当たり前のことと受け止めているつもりでも、実はそれは逃れることができない死に支配されていることでした。
死を恐れ、死につながれた奴隷であったのだと、聖書は教えます。
何故ならば、死が最初の人であるアダムが罪を犯した結果、人に与えられたものだからです。
死は、偶然起きたことではなく、人として受けなければならない止むを得ないものではなかったのです。
死は罪と結びついたものだったのです。
しかし、罪を犯した人を、なおも愛してくださった神は、人をその死の恐怖から解放しようと、自らの命を犠牲にして解決してくださった。
罪が赦されることは、死の恐怖から解放されることでもあったのです。
私たちが、好き勝手に生きるのではなく、真の自由を得て生きるとは、罪が赦されて死の恐怖から解放されることことです。
罪と死、赦しと解放に、真っ直ぐに向き合っていくことができるのが真の信仰なのだと、教えてくれる箇所です。
解放されていることをしっかり喜びたい。
シャローム