「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」 エペソ人への手紙 1章23節前半(2107訳)

水曜日です。聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、エペソ人への手紙のです。

パウロがローマで投獄されている時に、エペソの教会に宛てて書きました。
コロサイの教会に起きた諸問題を解決することと、コロサイだけではなくエペソ、クレテなどの諸教会にも読んでもらうために書きました。
牢獄と言う環境の中に居たためでしょうか。具体的な問題を解決するためのアドバイスと言うのではなく、もっと福音の深いところについて、瞑想して書いています。
目に見えないけれど、確かにイエス様が約束してくださったものについて教えてくれます。

2章は、初めに私たちがどれほど罪と咎の酷い状況に居たのかを示します。
そして神の一方的な愛によって、救いがもたらされたこと。
信じると言うただその1点で、その約束を受け取ることができ。
信じた後の、良い歩みについても備えられていることまで語ります。

そしてそれらは教会に満ちているキリストによって与えられるのです。
教会は、見えない神の力が満ちているところです。
教会はキリストのからだであり、私は教会の一部です。
私は、教会と礼拝を離れて信仰者として存在することはできません。

見えないけれどキリストは教会に満ち満ちておられる。
それを味わえるのは、行いではなくただ素直に信じることによって始まります。
シャローム