「主が私にこう言われたからだ。 「わたしは静まり、 わたしのところから眺める。 照りつける日差しのように、刈り入れ時の暑さの中の雨雲のように。」」イザヤ書 18章4節
ダマスコに続いて、今度はクシュへのさばきのことばです。
クシュにあるパピルスでできた船は、ナイル川を素早く航行することが知られていました。
その船の素早さに、周辺の国々が恐れたように、今、素早く行なわれる神のさばきを人々は恐れることが示されるのです。
主は、ここで主のおこなわれるさばきを前にして「眺める」と、語られました。
眺めているのは主ご自身です。
他の誰かが、主のさばきを傍観している様子を示しているのではありません。
主が、時が満ちるのを、静かに待っておられるのです。
主が、さばきの時を定め、その時まで忍耐と寛容をもって待っています。
猶予期間、試合の最後のロスタイムを計っているようです。
私たちが主のさばきなどないと、思い間違うなら、それは暑さの中に突然沸き上がり激しい雨をもたらす雨雲のように起きるでしょう。
私たちは、ユダに、ダマスコに、そしてクシュに行なわれた主のさばきを知り、かの日を前にして私が撮るべき態度と行動を決めていくのです。
刈り入れを待つ農夫が、畑を眺めるように、主は、悔い改める人々の姿を待ちながら、眺めているのです。
時は、もう直ぐに満ちるのです。
シャローム