「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでしょうか。」コリント人への手紙 第2 11章29節
パウロは、彼に対抗心を燃やして彼を批判し、自分たちを誇る人たちに対して、答えます。
彼らが自分が優秀であることを誇るなら(実は彼らがパウロより優秀なわけではないのですが)ば、パウロは自分が弱いことを誇ろうと言うのです。
しかしパウロの宣教活動、宣教旅行で経験したことを知れば、パウロが決して弱い人ではなく、忍耐と行動の人であることは確かです。
パウロは、教会に繋がる人が弱さを経験している時には、同じようにその弱さを経験して、その人を励ますのです。
誰かがつまずき、あるいは罪を犯してしまったのならば、自分自身のことのように激しく罪に対して怒り、弱さに対しては痛みを覚えるのです。
パウロは自分の優秀さを誇って、人々を教えようとは思いません。
その人の弱さを経験して、ともに歩むことで教え導くのです。
ですからパウロは宣教旅行中に経験した船の難破や無実でむち打たれたことなど、苦難とは思いません。
そのような経験を通して、キリストを伝えることができたことを見て感謝するほどです。
パウロが痛みを覚えるのは、教会の小さな一人が経験する痛みそのものです。
そしてパウロは、そのような痛みや苦しみから、主イエスが必ず救い出してくださることを知っています。経験してきたのです。
ですからパウロは誇ります。自分の弱さを誇ります。
そこにイエス様が働いてくださることを、誰よりも知っているからです。
シャローム