「あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。」 ルカの福音書 12章34節

食べ物や飲み物を求めることに心を砕くよりも、御国を求めるように教えられたイエスさまは、このようにことばを結ばれました。
このお話しの前には、収穫がたくさんあったお金持ちが、それを蓄える倉の建てるが、その夜のうちに命が取られるならば、その収穫物、宝物は失うのだと語られました。
そのお話しの結びは「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです」21節でした。
この二つのことばは、地上で生きる間に、私たちが何に心向けて、どのように行動するべきであるのかを指し示してくれます。

私たちが、地上でできることには限界があります。
あれもこれ元、心を向けるならば、心はちりじりになって、行動も一貫しないでしょう。
しかし天の御国を目標に定めて日々を歩み、心を神様に真っすぐに向けるならば、行動は一貫し心も定まります。

神は、私たちが良い行ないをできるように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださっています。
それはイエスさまの生き方に倣い、神と隣人を愛する生き方です。
そこには具体的な行動があります。

倉に宝を積むよりも、神さまのことばに従う生き方をすることで御国に宝を積むことに心を向け。
神さまの御心に心添わせて行こうと歩む時には、失敗も含めてすべての行動が御国に宝を積むことになります。
神さまが見ていてくださるのです。
今、自分の手に取れない宝。目には見えない宝こそが、大切な宝です。
何を見て、何を求めるのか、私の今日の心はどこにあり、どこに向うのか良く考えつつ一日を過ごしたい。
シャローム