「わたしは自分のところに戻っていよう。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで。彼らは苦しみながら、わたしを探し求める。」」ホセア書 5章15節

イスラエルが偶像礼拝をして罪を一向に悔い改めることがないので、主は、イスラエルを懲らしめると語ります。
ここ5章の最初で、主はイスラエルに向けて聞くことを命じます。
「祭司たちよ、これを聞け。イスラエルの家よ、心せよ。王の家よ、耳を傾けよ」
このように3度言葉を変え、表現を変えながら、聞くことを強調します。
強調しなければならないほど、この日までイスラエルは主のことばを聞かなかったのです。

そして聞かなければならない内容は、イスラエルの罪とさばきについてです。
13節には「アッシリア」の名前があります。
アッシリアに攻められて滅ぼされるのは、主が、アッシリアを主のさばきの剣として用いたからです。
あの侵略と攻撃は、主のさばきなのです。

しかし、もっと大切に聞くべきことはこれです。
自分のところに戻っていようと、主は語ります。
主が、天の御国へ帰って行くことを示しますが、それは詩篇104篇29節「御顔を隠される」と、同じ意味です。
主が、イスラエルを離れてしまうことは、主の祝福と守りが失われることです。
何よりも、主と切り離されてしまうことが、どれほど来るしことなのかを、この後、イスラエルは経験するのです。
その苦しみは、アッシリアによる攻撃とそれによる貧困、命の危険を超える苦しみとなるのです。
罪を悔い改めることができないイスラエルはそれが分かっていません。
それでも、主は完全にイスラエルを見捨てるのではなく、再び戻ってくださることを示しておられるのです。
それなので主は「聞け、心せよ、耳を傾けよ」と最初に語られたのです。

主を見失い、苦しみながら、主を探し求めなければならない日を迎えることがないように、日々、主のことばを慕い求めて歩みたいと思います。

シャローム