「「レビ部族だけは、ほかのイスラエルの子らとともに登録してはならない。また、その頭数を調べてはならない。」 民数記 1章49節
今日から「民数記」を読みます。
イスラエル人の人口を調査していることから、数を数える意味で民数記と呼ばれます。
ここ1章では、初めて各部族ごとに人口調査がされた結果が記されます。
その人口調査の特徴は、民の人口を数えるということではなく、神、主に愛されている人として数えられていることです。
そしてイスラエルの人は、神に仕える人として数えられています。
各部族ごとに数えますが、各部族の長、代表は祭司アロンにを補佐する者として登録されます。
主が、この人たちの仕えるべき方であることを示すのです。
しかし、レビ部族だけは数えることが許されません。
レビ部族は、初めから主のものとなっている人たちだらです。
他の部族とは、切り離されて主のものであることが示されるのです。
人口がこんなにも多いのは大変な荒野の旅でも、主に守られて祝福されている証しです。
その中にあってもレビ族は特別なのです。切り離され、きよめられた存在があることを人々は、この人口調査でも知るのです。
そして荒野の旅で宿営をする時も、幕屋を中心にして宿営をしますが、幕屋の周りは祭司の部族であるレビの部族が宿営をします。
レビ族の外側に、各部族が宿営するのです。
聖い主に仕えることが許されたレビ族を通してのみ幕屋をも望むことができるのです。
宿営の形を通しても、聖い神様に人が勝手に近づくことができないことを示し、教えるのです。
レビ族の存在、その人数が増えて祝福されていることを見て、人々は主を日常でも近くに感じつつ、同時に聖い存在である主のことを常に覚えて生活をするのです。
中心はいつも、聖いそして愛の神様です。
シャローム