「モアブが高き所に詣でて、 そこで身が疲れ果てるまでのことをしても、 その聖所に入って祈っても、 何にもならない。」」イザヤ書 16章12節

7節からモアブへの神のさばきが宣告されます。
13節には、モアブへのさばきは、民数記24章17〜17節で、バラムが預言していたことが示されます。
そんなにも以前から、モアブへはさばきが示されていたのは、悔い改める機会が与えられていたということです。
しかしモアブは答えなかったのです。

今、さばきの厳しい現実を経験して、彼らが信じる神々にどれほど祈っても助けは与えられないのです。
高き所とは、モアブが信じるケモシュの礼拝所です。
そこへ何度かよって神々をあがめても、礼拝所で繰り返し祈っても無駄なのです。
モアブの人々が造った偶像の神々は、人々の祈りを聞く力もなく、答えることもできないのです。
幾ら熱心に祈っても偽物の神々には、モアブを助けることはできません。
しかし聖書の神、主のさばきは現実です。

足を向けるべき聖所は一つだけ、祈るべき神、助けを求める神は一人だけです。
神は、先に聞けと、語りかけて、悔い改めを迫ってくださるのです。それは愛でありあわれみです。
答えるべき時、答えるべき真の神を知って信じなければ、他に何をしてもむなしいのです。
シャローム