「目覚めよ、目覚めよ、デボラ。 目覚めよ、目覚めよ、歌声をあげよ。 起きよ、バラク。 捕虜を引いて行け、アビノアムの子よ。」士師記 5章12節 (2017新改訳)

聖書の神は、抽象的な神さまではありません。
人がそれぞれ好き勝手に思い描いていれば良い存在でもありません。
信じれば何でも良いと言う神さまでもありません。

存在し、具体的な姿があります。
愛と義とあわれみと言ったご性質を持っています。
私たちと人格と人格の交流を持ってくださる方です。
私たちの生活、歴史に介入される方です。

4節では「セイルから出て」と、あります。
イスラエルを救い出すために、具体的に行動してくださり、介入してくださる神さまの姿があります。

この存在し具体的な神さまが、さばきつかさを立てるために、行動してくださるのです。
そして救い出してくださる。

4章で、その活躍が記されたデボラを、ここ5章では詩文でもう一度語ります。
12節は、デボラが立ち上がるまで、主が繰り返して語りかけておられます。
「目覚めよ」と、デボラは4度も声を掛けられています。

活躍を見れば素晴らしい勇士ですが、立ち上がるまでに、4度も神、主の声を聞かなければ決断し、立ち上がることができなかったのです。

ここに神さまの具体的な姿があります。
声を掛けます。
諦めず、見捨てず、忍耐強くデボラを呼びます。
声を掛けることをしてくださる。
何度でも声を掛けます。
罪を犯したイスラエルを見捨てないで愛して、悔い改める機会を与えてくれます。
そして救い出してくださる。
奇跡的な力で救い出すのではなく、神さまの声を聞いて立ち上がった信仰者、主に信頼した信仰者を用いてくださるのです。

私たちは、神、主の声を聞いて、歌声をあげましょう。
神、主を賛美し、私はここにおりますと、応答の祈りをあげよう。
神、主は、貴方をデボラに勝る者として、今、用いてくださる。
シャローム