「私が自分ではしたくないことをしているのなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私の内に住んでいる罪です。」ローマ人への手紙 7章20節

律法と御霊が、罪とどのような関係にあるのかを教えます。
律法を知っていれば、罪を知ることになります。
しかし、律法は私を罪から解放してくれません。
律法の下にある者は罪に売り渡された者であり、滅びが定まっています。

ここではまるで罪を行うのは私ではないと責任転換をしているように聞えます。
しかしそうではありません。
人の内側には、残念ながら真の善はありません。
ですから、善を行いたいと願ってもそれをすることはできないのです。

神から律法が与えられていることを喜び、それを行いたいと願いつつもそれができない現実があります。
それは私の中に根付いているのは御霊による善ではなく、罪だからです。
しかし律法を知り、経験して罪を知った者は、そこから解放される御霊を求めます。
そして、御霊を求める人には、神はそれを惜しみなく与えてくださいます。

私の中には罪があると認めることができる人は、私の内側に御霊を受け入れて罪から解放されることができるのです。
私が善を行えるとしたら、それは神の御霊による助けと導きによるのです。
そしてそれは可能です。
私の内側を空にして、神の御霊を受け入れるのです。信じればよいのです。

シャローム