「しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。」 民数記 8章25節

レビ人が、主の前に天幕の奉仕をするための規定が示されます。
レビ人は、主の前に献げられた人であり、主が「わたしのものとした」と宣言されるのです。18節。
身体をきよめ、民全体の代表として奉仕をします。
他の部族の人たちは願ってもレビ人の代わりを務めることはできません。
すべて主が命じたことに従うのです。そこから主を礼拝し、主に従って歩む生き方が始まっています。

そしてレビ人は五十歳で、その務めを終えます。
4章3節とここ24節を合わせて読むと、レビ人の務めの期間が分かります。
レビ人は二十五歳で奉仕に就きますが、三十歳までは、訓練の期間です。
三十歳から五十歳までが天幕での正式な奉仕の期間と、決められています。
主が定めました。
誰かが、何処かの一族が奉仕を独占することはできません。
主のことばに従うのです。
それも奉仕であり、信仰の従順です。

「退き、、もう奉仕してはならない。」とは、重いことばだと感じます。
私たちが、主を信じることは変わることがありません。年齢や過ごした月日には関係がありません。
しかし、年齢や時にふさわしい奉仕や務めがあるのです。
退くのも奉仕の一環です。
次の使命があるのです。

主のことばに従うことの大切さが教えられる一節です。

シャローム