「イスラエルの子らは、主の目に悪であることを重ねて行った。エフデは死んでいた。」士師記 4章1節 (2017新改訳)
イスラエルを苦しめていたモアブの王エグロンを、士師エフデが打ち破ってイスラエルには平和な日々が訪れました。
しかし、エフデが死ぬと。イスラエルは罪を犯すのです。
それも小さな罪ではありません。
ここ1節には、3つのことが示されています。
1.エフデは死んでいた。
圧迫するモアブを倒してくれたエフデは死にました。
それは救助者がいなくなったということではありません。
イスラエルを、正しく導く者がいなくなった途端に、罪を犯したことを示します。
士師である人の目がなくなったから、罪を犯すのです。
2.主の目に。
士師が見張ることをしなくなったので、主の前に罪が隠せると思うのです。
全能の神、あわれみ深い神の力と愛を分かっていないのです。
詩篇139篇の詩人は「しゅは主はすべてを知っておられる」と、告白しました。
それは安心であり、道しるべです。その思い、信頼がこの士師記の時代に人にはありません。
3.重ねて行った。
主の前に罪に関して鈍感になるので、罪を重ねます。
小さな罪、軽い罪と考えて悔い改めることない人は、罪を重ねます。
大きな、深い罪を行います。
主のことばに従う。
主の目の前を歩む。
いつも。
それが罪を重ねることのない人です。
その人の賛美と叫びはいつも主に届いています。
ですから平安があります。
そして罪から遠く離れることができます。
エフデは死にますが、主は、今日も生きておられます。
シャローム