「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きているのです。〜」 ガラテヤ人への手紙 2章20節前半〜(2107訳)
水曜日です。聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ガラテヤ人への手紙の第2です。
ガラテヤ人への手紙です。
本書を書いたのはパウロです。
パウロがガラテヤの諸教会を最後に訪問した後に、異邦人も救われるためには割礼を受けなければならないと語り、人々を惑わすユダヤ主義者が現れ、律法を守るように強制すると同時にパウロの使徒職についても攻撃をしました。
それなのでパウロは、これらの問題に対処するために手紙を書いたのです。
そしてこの手紙は「信仰義認」について強く語ります。
そして5章になるとキリスト者の自由についても語ります。
罪の支配下にあり、滅び行く身であった私は、イエス・キリストを救い主と信じた時に、死んだのです。
そして罪の支配から解放されて、キリストのしもべとなりました。
自我は死に、キリストが私の心の中心に王様として存在しています。
キリスト・イエスが歩まれたように私も歩むようになったのです。
知らず知らずの内にであっても、罪の支配下で行動していた私は、もはやいません。
イエス様が人々を愛して、ご自分の命さえも犠牲にして、無条件に与えてくださったように、欲望に従うのではなく、愛の行動を取るのです。
私が、私の人生を、私の自由に生きるのだと考えていた、古い私は死にました。
キリストを愛し、キリストのために生き、キリストに従う。
そのことが真の自由だと知って生きるのです。
キリスト中心の生き方は、自由で恵に溢れ、平安を失うことがありません。
シャローム