「ああ、ディモンの水は血で満ちる。 わたしはさらに、ディモンにわざわいをもたらす。 モアブの逃れた者、 その土地に残った者に、一頭の獅子を。」イザヤ書 15章9節
1節にある通り、モアブへの宣告、即ちさばきのことばが宣告されるのです。
北イスラエル、南ユダが滅んでいく時、自分たちの栄華は続くと思っていたモアブだったのです。
しかし、神のさばきを目撃して、モアブも悔い改めるべきだったのです。
いいえ、その機会を与えられていたのに、モアブは無視したのです。
ここにあるディモンは、2節の「ディボン」と同じ町のことだと思われます。
モアブの国の大切な町が、徹底的に侵略者によって奪われ、滅ぼされていく様を繰り返して示すのです。
最後は「一頭の獅子」で終わります。
細かな説明など一切ないのです。
一頭の獅子によって、逃れる人が一人もない状態にまで打たれるのだと、宣告するのです。
これは主なる神さまのさばきです。さばきの時なのです。
もう、誰も逃れることはできません。
主は、これまで何度も呼びかけてきたのです。悔い改めを迫ってきたのです。
しかし、モアブは主の赦しと祝福ではなく、さばきのための獅子を、自ら呼び込んだのです。
私たちは、聖書を通じて主のことばを真っすぐに聞いて、悔い改めを自分のものとした生き方を始めていこう。
シャローム