「また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く探さないでしょうか。」 ルカの福音書 15章8節
8、9節はなくした銀貨のたとえです。
迷い子の羊は、主人との関係が失われたことを示すたとえでした。
なくした銀貨は、価値が失われてしまったことを示しています。
銀貨は、価値のあるものです。
しかし、持ち主の手を離れて、どこかに埋もれてしまったままでは、銀貨が銀貨の価値を発揮することはできません。
銀貨は、銀貨として正しく用いられてこその銀貨なのです。
この女の人は、その価値を知っているので、大変な労力を払って探し出してくれます。
この女の人の手にあってこそ、銀貨はその価値を発揮できるのです。
銀貨は、自分では戻ることができませんから、探し出してもらわなければならないのです。
そして女の人の手に戻った時、銀貨は銀貨になります。
価値を取り戻してもらったのです。
私たちは、神に似せて造られ、息を吹き込まれて価値ある存在として、この地上に置かれたのです。
しかし、これまでの私たちはなくしたままの状態でした。価値が失われていたのです。
イエスさまの手によって、本来あるべきところへ戻った時に、私は、私の本当の価値を取り戻していくのです。
そこは神、主のところです。
シャローム