「十二日目は、ナフタリ族の族長、エナンの子アヒラ。」 民数記 7章78節

12節に「最初の日に〜」と、ユダ族が献げたささげ物が一つひとつ記されています。
そこから12日間、さいごのナフタリ族のささげ物まで、まったく同じ物が献げられるのです。
今朝、7章を読みながら3つのことを思いました。

1つ、12部族はみんな等しく献げたのだということ。欠けもなく、余分もありません。
我が部族は豊かになったのでたくさん献げるということもできません。
主が命じ、主の前に等しく献げるのです。みんな同じです。
それはまた、主が一人ひとりを愛していることも現します。

2つ、律法は朗読されたはずです。
79節以降には、まとめのような記述もありますが、それまで12部族のささげ物を全部記しています。省かないのです。
それを朗読するのも大変です。
同じことを読み上げるのですから。
献げるのに、12日間かかりましたから、読み上げるのも大変です。
読み、聞くことで主の前に等しく献げることをいつも覚えるのです。
聞き飽きた、もう、いいとはならないのです。
聞くたびに主の愛を思い起こすのです。

3つ、いけにえは献げられたはずです。
これは目録ではないのです。
その日ごとに屠られて煙にもされました。
12日間、これだけの頭数のいけにえが集められて屠られます。
その時、その場の鳴き声、いけにえの匂い、血の匂い、火と煙が溢れた12日間のはずです。
凄い光景だと思いました。
それは私たちの罪の大きさ深さを表しています。同時に主の愛と赦しを現します。

旧約の民は、これを経験して律法を守ることを心に刻んだのです。
主に従順におこなうことの現実がそこにあります。
主イエスを信じますと言う、私たちの現実も同じようにあるはずです。血を流したり、匂いはないかも知れませんが、同じ凄まじい現実、主を信じる心と行動があるはずです。
私は、どう従うだろう。

シャローム