「きよい人たちには、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく、その知性も良心も汚れています。」テトスへの手紙 1章15節
パウロの弟子であり、教会の指導者として任命されたテトスが正しく教会を導くためにパウロが教えます。
手紙の最初から厳しい言葉が続きます。
教会の指導者となっていく長老と監督に求めるものを強い言葉で教えます。
その続きで、本当に厳しい言葉が語られます。
その背景には、ユダヤ人が律法主義を持ち出したり、他の人たちも、イエス様を信じること以外のものを付け足して、自分たちを立派な信仰者と見せたいという考えがあるのです。
パウロはそれらを厳しく戒めて排除します。
ここ15節では徹底した言葉で語ります。
「きよい人たちには、すべてのものがきよい」しかし、反対に「汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく」富井切っています。
しかも知性ばかりか良心まで汚れていると言います。それはイエス様に倣わず、自分の考えで行動する心です。
神さまが恵みによって与えてくださった信仰による義、救い以外のものを人が付け足したりするならばそれはすべて神の恵みを無駄にする汚れたものなのです。
すべてのものがきよいとは、主イエスを信じた人は、神によってきよめられた人であって、自分の力や業によってきよくしたのではないということが根底にあります。
ですから信じた人は、自分の行いがイエス様に倣うものとなっているかどうかを吟味すればよいのです。
私の心と行動の真ん中にイエス様がいるのかどうかをいつも問い掛けたい。
シャローム