「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」ガラテヤ人への手紙 5章16節 (2017新改訳)
19節から肉のわざが具体的に示されています。
私たちは、肉のわざと聞くと、いったいどんなことを想像するでしょうか。
ここでは22節からの御霊の実に対して、肉のわざが示されていますが、これだけではありません。
パウロはここで肉の欲望を満たすと語るのは、自分を誇り、自分の行いを誇って、律法を正しく行うことで自分の義を主張する行為を示します。
そこには他の人よりも自分の方が正しいとする争いや党派心と言った心もあります。
うぬぼれて、隣人に挑んだりもするのです。
また御霊に導かれてみことばに従う生活ではなく、自分の思いを正しいとして自分を中心とした生き方になります。
それでは律法を正しく行っているつもりでも、一番大切な「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」14節、律法を全うできません。
御霊に導かれなければ、肉の要望を満たすことを求めてしまうのが私たちです。
罪から離れたのならば、御霊に導かれなければ、御国のゴールに向かうのではなく、逆送してしまうのです。
イエス様の恵みの中を生きているのならば、御霊に満たされて、他のものが入り込まないようにしましょう。
私の心に僅かに空いたところに肉の欲望が入り込むと、それは全体に広がってしまいます。
そうならないように、御霊に満たされ、御霊に導かれて歩みましょう。
御霊の支配、助けを受けることは、私の生き方が不自由で制限のあるものになるのではなく、私が真に望むものを求めることができるようになる自由な生き方をすることです。
御霊に満たされ、御霊に導かれてこそ、私は真の自由を得て歩むことができます。
それは罪に支配から離れた喜びと平安の中の自由な歩みです。
シャローム