「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。」詩篇 32篇1節
確信と感謝の詩篇です。
何を自分のものにできることが幸いなのか?
どのような状況、環境で生きることが幸いなのか?
どのような心と行動で生きることが幸いなのか?
その幸いは、平安と喜びがあるのか?
何をもって自分は豊かだと確信しているのか?
詩人は、主に罪を赦された人、赦された生き方だと確信しています。
それを最初に2節にわたって告白します。
他者には決して赦されない罪を犯してしまった詩人は、しかし、主の前に真摯に悔い改めることで、主の赦しを得ました。
その瞬間、他者からの批判、攻撃、憎しみも詩人を苦しめなくなりました。受け止めることができます。
罪を隠し通せることが良いのではなく、罪を告白しあらわにして、悔い改め。
主の赦しを受けとることが幸いなのです。
反対に罪をうまく隠し、人を欺き豊かになったように思えても、その心とたましいは痛みがあります。
幸いからは遠いのです。
主の赦しを得た人は、主におおわれて、守られます。平安と喜びがともにあります。
もう、罪に苦しむことはなくなるのです。
主の赦しを得ること。
主の前に真摯に、悔い改めることができること。
主の前に隠すことがない生き方。
それが幸いを得る生き方です。
確信を持った生き方ができます。
シャローム