「不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、」ローマ人への手紙 4章20節
アブラハムが信仰によって義と認められたことを教えます。
アブラハムが割礼を受ける前に、信仰のみによって彼が義とされたことは、イスラエル人ではない私たちにとってもそれは同じように信仰によって義とされる手本となっていることも教えてくれます。
信仰によってあたえられるのは、報酬ではなく恵みであることが示されています。
その信仰とは、神様が私に与えてくださった約束を信じるということです。
私の信仰が先ではなく、神様の恵みが先にあるのです。
約束が与えられたように、信仰も神様が私に与えてくださったのです。
私が勝ち取ったり、修業や学びによって得たものではないのです。
そして、ここにはアブラハムが不信仰にならなかったとありますが、彼の信仰が完全、完璧なものではなかったことを私たちは創世記の記述から知っています。
妻のサラを妹と偽ったり、長子のイサクが生まれる前の様々なことがそれを教えます。
しかし、神様はそんなアブラハムを恵みを注いで導き続けてくださり、信仰を強め、成長させてくださったのです。
神様の約束と恵みは、私たちの信仰を強めてくださる。
私が、神様のために特別な働きをしてその成果をあげるのではなく、神様の約束を信じて従うことで、神様の栄光を現すことになるのです。
約束と恵みを受け取り、それを今日も信じていくことが大切なのです。
シャローム