「祭司は、その女を進み出させ、主の前に立たせる。」 民数記 5章16節
11節からは、聖書中でここだけにある特別な記述です。
妻が夫を裏切り姦淫の罪を犯した場合、あるいはそれが発覚していない場合でも、夫にねたみの心が起きた場合のさばきについての律法です。
現代に生きる私たちには驚くような決まりだと感じます。
当時は、このようなことが疑われたり、その結果、妻が不当な扱いを受けることもあったのでしょう。それなので、明確な決まりとして明らかにされたのでしょう。
11節、12節で「主が告げられた」と繰り返されるのは、主の命じた律法であることを強調しているのです。
不貞を暴く、明らかにする方法は、とても不思議な方法だと感じます。
このようなことで正しいことが明らかになるのだろうかと不安にも感じました。
しかし違うのです。
さばきの方法とともに無罪であれば祝福があることまで示されています。
罪を裁きのも、隠された罪を暴くのも主なのです。
主の前に隠し通せる罪はないのです。
主の前では正しい人が罪に定められることはないのです。冤罪はありません。
主は祝福される方です。
ここで主に愛されているイスラエル人が教えられ、命じられるのは一つです。
「主の前に立つ」
主がさばき、主が暴き、主が赦し、主が祝福します。
主の前に立っていることを私たちはいつも覚えておくのです。
シャローム