「ただ今日までしてきたように、あなたがたの神、主にすがりなさい。」ヨシュア記 23章8節 (2017新改訳)
 
 戦いが終わり割り当て地も定まった後、ヨシュアも老人となったとき、ヨシュアは民にことばを残します。
 主からの民への警告とでも言うべきことばです。
 主は、ヨシュアが死んだ後、民が主への信仰を捨てて好き勝手に歩むようになることを知っておられます。
 それなので、あらかじめ注意して、歩むべきただしい道を示してくださるのです。
 どこまでもあわれみ深く、忍耐強く、私たちを導き助けてくださる主なのです。
 
 ここに「今日までしてきたように」と、あります。
 それは約束の地を手に入れるまでの戦いの日々、途上の日々のことを言います。
 途上ですから、まだまだ安息は得られていません。
 ですから主に頼り、主のことばをよく聞いて従ってきたのです。
 
 しかし約束の地に住み、安心して生活できるようになったとき、民は主の恵みと守りを忘れてしまうのです。
 そして自分勝手に生きるようになります。
 自分の都合の良い神を求めて、周辺国の神々をあがめるようにもなっていくのです。
 
 ですから、主は、警告し、また教えます。
 安息を得て、日々を平安に暮らすようになっても、なお、主にだけすがるようにと、教えます。
 主にすがるとは、他のものに頼らないこと、主を愛することです。
 主を信じて従うのは、嫌嫌ながらにすることではないのです。
 安心し、期待し、そして主を心から愛していくことなのです。
 それは平安な日々、豊かな日々が続く時の方が、苦難や悲しみのある日々よりも、忘れてしまいがちなのです。
 だから、最初から心にことばを刻むのです。
 
 今まで通り、主にすがりなさい。
シャローム