「エルサレムの住民エブス人を、ユダ族は追い払うことができなかった。エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んだ。今日もそうである。」ヨシュア記 15章63節 (2017新改訳)

相続地の境界線が示されて、相続する町の名前が一つ一つ上げられています。
ユダ族に関して言えば、エドムの国境から29の町と村々、その他に、14の町と村々、16の町野と村々、さらにエクロンと、まだまだ続きます。
荒野の塩の町までが上げられて、最後にこの63節で、ユダ族の相続地についての記述が終わります。

占領して攻め取った町の名前を上げて、成果を記していると、見ることができるかもしれませんが、そうではないのです。
エブス人を追い払うことができなかったユダ族の、弱さを示して、子孫に伝えます。
それが大切です。
主からの恵みを受け取り、祝福の中で歩みながら、ユダ族、信仰者には弱さが残ります。

ここに上げられている町の名前は、主が私たちに与えてくださった恵みを具体的に記しているのです。
主から注がれる恵みは、象徴的なもので終わってはいないのです。
具体的であり、私の日々に届いていることを、この町の名前は教えます。
当時そこに住んでいたユダ族の人は、自分の住む町と、生活する中で目にする町が、主からの恵みと祝福であると実感していたことでしょう。

そして同時に、そこに主のことばに完全に従い通すことができないでエブス人を残してしまった自分たちの弱さも知ることになるのです。

主の恵みはこんなにも大きく、具体的であり。
その恵みの中で、しかし、私たちは弱さと向き合いながら生きています。
弱さを知っていることも、また、恵みなのだと思います。

上げられている町の名前も、エブス人の名前も大切に心に留めておきたい。
シャローム