「アロンは生きている雄やぎの頭に両手を置き、それの上で、イスラエルの子らのすべての咎とすべての背き、すなわちすべての罪を告白する。これらをその雄やぎの頭の上に載せ、係の者の手でこれを荒野に追いやる。」 レビ記 16章21節
年に一度、イスラエルの子らの罪を取り除くための儀式の方法を示しています。
ここ16章は、本当にこと細かくやり方が示されています。丁寧にな上にも丁寧に、誠実に行わなければなりません。
2節には「時をわきまえず」するなと命じられています。勝手に主に近づき勝手にささげても、それは主に受け入れられないのだと、厳命されているのです。
その上で、毎年丁寧に行います、
ここにも「両手」とあります。両方の手を置くという意味を丁寧に記しています。
祭司自身とイスラエルの子らの罪の両方を、雄やぎに転嫁して荒野に放つ必要があることを教えるのです。
そして「すべての咎とすべての背き、すなわちすべての罪」と、咎、背き、罪と繰り返して表現することで、私たちの罪が主の前にどれほど大きなものかを示すのです。
その罪を知った上で、主の赦しときよめを求めるのです。
祭司にも必要です。ですから最初に祭司は手稲に自分の罪の汚れをきよくしていただいてから、この儀式に臨むのです。
そして最後は雄やぎは追いやられます。解放、放逐されるのではありません。死にます。
罪は追いやられ、雄やぎが死ぬことで赦しを獲得するのです。
今、私は一度だけ、心から悔い改めと主イエスを私の救い主と信じることで、罪が赦されてきよくされていることの恵みが、どれほど凄いことなのかを覚えます。
シャローム