「あなたのかごも、こね鉢も祝福される。」申命記 28章5節 (2017新改訳)

ここでは、主の御声に確かに聞き従った時の祝福と、聞き従わなかった時の徹底的な乏しさ、苦しみ、虐げが比較して語られます。

「かご」とは、収穫したぶどうを入れるかごのことでしょう。
「こね鉢」とは、小麦をこねるためのものでしょう。
日々の生活の中で使われる、ほんの小さな物にまで、主は配慮してくださり、それを祝福してくださるのです。
即ち、かごが空っぽのまま家に帰ることはなく、こね鉢はいつも小麦で満たされて、こねることができるのです。
主は、愛する者に、こんな小さな所にまで恵みを注ぎ祝福してくださる方なのです。

しかし言い換えれば、わずかなぶどうの房、わずかな小麦といえども、主が与え注いでくださらなければ、手に入れることはできません。
労働は空しく終わり、口に入る食べ物もなくなるのです。

そして主にのことばに背いたユダヤ人の町が滅び、困窮する民を目撃する異国人は、それが主の徹底的なさばきの結果であると、知ることになるのです。
そして彼らは、主の公平さ、聖さを知って、恐れるのです。

私たちは「かごも、こね鉢も祝福される。」ことを通して、主を証しするのか。
それとも、窮乏と休息もない日々を生きることを通して、主を証しするのか。
私たちが、主のことばを聞いて従うことから、その証しと恵み祝福は、始まっているのです。
今朝も、あなたのかごも、こね鉢も祝福されているのです。
シャローム