「あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」」 レビ記 15章31節
男の漏出物と精を漏らした場合の汚れと女の漏出と月のさわりにおける汚れについて教えます。
とても細かな規定です。
特に女の漏出に関する汚れが間違って運用されていたことを思い起こします。
イエス様の衣服に後ろから触れた女性が病が癒されないばかりか汚れた者として扱われて苦しんだ場面を思い起こすのです。
主は、汚れた人を民から切り離すためにこの規定を与えていません。
病と汚れから自分の身を守り、主の聖さを覚えるための規定です。
イスラエル人は主を信じる信仰者の群れです。教会の群れも同じです。
その人は、汚れに敏感でなくてはいけないのです。
私たちのただ中、真ん中にいつもいてくださる聖なる方に汚れたままで近づくことがないように注意するのです。
大切なのは汚れたことではなく、きよくされることを意識するのです。28節。
漏出によって、汚れたとされることで、普段は意識しない自分の汚れと聖なる主に心を強く向けることを教えるのです。
そして汚れはきよくされること。死ぬことなく生きることを希望を持って知るためです。
私たちは主を信じることで汚れた者ではなく、きよくされた者です。
きよくされるということを覚えておきたい。
シャローム