「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。」 マタイの福音書 13章16節

14節で、イエス様はイザヤ書を引用して「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。」と、語られました。
これは、群衆に対してたとえで語られたことの答えです。
それは人々が、イエス様のお話を喜んで聞いてはいるが、実のところ彼らは聞いていないのと同じで、イエス様が話された本当のところを悟ることができないのだと、教えました。
理解する力がないと、人々を責めているのではありません。
聞く姿勢が間違っているのです。
彼らは、自分の聞きたいことだけを聞きたいのです。
ですからイエス様のお話が心とたましいに響いていかないのです。

しかし、弟子たちは違います。
彼らが立派なのではありません。イエス様が愛して選んだのです。
ですから、彼らが聞くことができるように、イエス様が助け導かれるのです。
また、イエス様がおこなわれる奇跡を目撃したときにも、その本質、神様の愛と恵みをそこから見ることができるように、弟子たちの目を開いてくださるのです。

私たちは、本当に大切なものを見ているでしょうか、
私は、大切なイエス様のことばを聞いているでしょうか。
聖書を開き、みことばを読むときに、大切に聞いているでしょうか。
ただ、文字を目で追って読んだつもりになってはいないでしょうか。
聞いているから幸いですと、イエス様が言ってくださいました。それは私にイエス様が幸いなことばを聞くことができるようにしてくださっているということです。

聞くことができる幸い、恵みを十分に味わいたい。

シャローム