「きよめを宣言する祭司は、これらのものとともに、きよめられる者を主の前、会見の天幕の入り口に立たせる。」 レビ記 14章11節

引き続きツァラアトに関する教えです。
ここには汚れからきよめられた時の祭司による宣言、献げるべきいけにえについて教えます。
貧しい人のためには手に入れるのに安価ないけにえが許されていますので、配慮のある規定だと言えます。
同時に細かなことまで決められている厳しい規定だと言えます。
きよめられることはそれほど大切です。
2節にあるとおり、これは「きよめられる」教え、規定であって「いやされた」ことを確認するものではないのです。

ツァラアトから幹部、身体が癒されても、きよめの宣言を受けて、いけにえを献げて祭司の宣言を受けなければ天幕の中、皆の中へは入ることができません。
この辺りの規定にもきよめに関する厳しさを感じます。

そして大切なことは、これが主の前に行われると言うことです。
ユダヤの旅団、皆の中には入れないといっても、その宣言は人々の前、入り口で行うのではないのです。
すべて主の前、会見の天幕の入り口、礼拝をささげることで確認し宣言されるのです。

ツァラアトになることが何故、汚れとこのように結びつけられるのかはよく分からないことが多いと感じています。
しかし、ツァラアトという病が表に出ることで、汚れを確実に意識させられます。
そして罪、汚れが癒され、きよくされることも経験します。
これはきよい神であり、目に見えない主なる神様を信じて歩む人、きよい神様に近づいていく信仰者には大切な時、経験となるのは確かです。

主の前に、ということを意識するのは、私たちの毎日にとても大切なことだと改めて覚えました。

シャローム