「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」ダニエル書 3章18節

王が建てた像を、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人が拝まないことで捕らえられて王に問い詰められます。
もし、本当に拝まなければ、燃える炉に投げ込まれて処刑されるのです。
3人は、臆することなくハッキリと答えます。16〜18節の3人の答えは明確で力強いものです。

16節では最初に、拝まないことはハッキリしていますと強調した表現で答えます。
17節は、王がどの神が燃える火から助けてくれるというのかと、脅すことに対して、唯一の神は助けることができると答えます。
そして18節が、一番大切な答えです。
もし助け出されなくても、真の神以外を拝むことはしませんという信仰告白です。
拝むとは、その神々に従うということです。それを3人は決してしないのです。

3人は、イスラエルの真の神が助け出してくれると信じていること以上に信仰を大切にしているのです。
3人は、イスラエルの神、主以外の方を拝むこともひれ伏すことは絶対にしないことを告白しているのです。
3人は、脅されても、命の危険があっても、それと引き換えに信仰を捨てて別の神々を拝まないのです。
3人は、無謀なことをしているのではなく、主への信仰を一番にしているのです。
私たちも3人のように脅されることはなくても、他の人と比べたり、批判を気にすることに心を向けるのではなく、主に心を結びつけ、いつでもハッキリと信仰告白をして主にだけ従う生活をしたい。

シャローム