「私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。」詩篇 13篇6節

主を信じている信仰者にも苦悩の日々が続くことはあります。
そして主への信仰が揺れ動きぐらついてしまう日もあるのです。
詩人は最初に苦悩を叫びます。
「いつまでですか」と、1節で2度叫びます。
続けて2節でも「いつまで」と、2度叫ぶのです。

祝祷の言葉としても使われる民数記6章24〜26節では繰り返して主が御顔を向けて祝福してくださることを語ります。
この民数記の箇所と比べると、今朝の詩篇のことばの苦しさが分かります。
苦悩し、主の御顔を見失い嘆く詩人の姿があります。

いつまでと、叫ぶのは、もうずっと主が御顔を向けてはくださらないのだと、絶望しているのだと、感じます。
詩人の苦悩の深さを知ることができます。

ところが、この詩篇の最後の5〜6節は一転して主の救いと恵みを確信して喜びの声を上げるのです。
既に、救いを受け取って、苦悩が去ったと言う喜びを歌うのです。
現実にはまだ、苦悩、問題は続いていると思われますが、詩人はもう、いつまでとは叫びません。
既に喜びの声を上げるまでになっているのです。

主の御顔の素晴らしさを知り、苦悩と徹底して向き合った詩人は喜びを歌うのです。
まことに、主を信じる信仰者はこのように声を上げることができるのです。これが信仰の幸いです。
シャローム