「彼らは、わたしの民の 罪のきよめのささげ物を貪り食い、 民の咎に望みをかけている。」ホセア書 4章8節

イスラエルの民が、主を忘れ、罪を重ねていることを主ご自身が指摘しています。
主のことばを聞こうとしない民。
主のことばを民に伝えようとしない祭司。
酷い有り様です。
特に酷いのは祭司です。

罪を犯した民は、きよめのためにささげ物を持って神殿にやって来ます。
祭司は、ささげられたいけにえの一部が下げ渡されて自分の者となります。
ここで「貪り食い」「咎に望みをかけている」とは、祭司の罪の姿を表します。
民が罪を犯せば、ささげ物は多くなります。
すると、祭司の受け取る分も増えるのです。

ですから祭司は、民が罪を犯すことを望んでいるという、主の指摘です。
主に真摯に仕えるはずの祭司が、民を悔い改めに導くのではなく、民が罪を犯すことを期待して待っているのです。
それは自分の利益のためです。

何故、ささげ物の一部を受け取ることが許されているのかを、この時の祭司は忘れています。
罪の罪です。
きよめのささげ物を罪を犯して貪り食う祭司の恐ろしい姿がここで断罪されるのです。
私たちは今、主イエスの恵みによって罪が赦されました。その喜びを決して忘れないで、罪から遠く離れて、主イエスの近くに住み続けたい。

ささげ物、肉を貪り食うのではなく、主のことばを大切で美味しい食物のように貪り食べたい。

シャローム