「あなたがたは言っている。 新月の祭りはいつ終わるのか。 私たちは穀物を売りたいのだが。 安息日はいつ終わるのか。 麦を売りに出したいのだが。 エパを小さくし、シェケルを重くし、 欺きの秤で欺こう・」アモス書 8章5節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ヨエル書です。

アモスは、テコア出身の牧者でありいちじく桑の木を栽培していた人でした。
しかし主に召し出され、聞く耳を持たないイスラエルの人々へ厳しい主のさばきを語り続けるのです。
時に、アモスは主の執り成しをして祈りますが、主のさばきを避けることはできません。
それはイスラエルが、主のことばを真摯に聞くことがなく、悔い改めることがないからです。

彼らは弱い者を苦しめ、信仰的な倫理観にも乏しくなっていました。
しかし彼らは、宗教的行為、そう行為には熱心だったのです。
毎日、いけにえを献げ、儀式を熱心に行っていました。4章。

主は、止めよと、語られます。
そのような献げ物を主は喜ばないのです。
しかし厳しいことばを語るアモスを、祭司のアマツヤは退けようとします。
主のことばを聞きたいないのです。その先にはさばきと滅びが待っているというのにです。

選びましたこの節には、彼らの堕落した姿があります。
熱心にいけにえを献げ、礼拝しているようですが、心の思いは、自分のしたいこと、商売に熱心なだけです。
「いつ終わるのか」とは、恐ろしい言葉です。
主のとの麗しく楽しい礼拝の時間を持っていないのです。
ですから早く安息日の礼拝が終わることを望んでいます。
熱心なのは形でけで、早く商売をして儲けたいのです。
いかさま、いんちきをなんとも思いません。主の献げ物をしながら、心の中ではこんなことを考えて、早く礼拝が終われと願っています。
恐ろしい。

祭司の家系でもなく、極く普通の牧者から、預言者へと、召し出されたアモスはこのような厳しい状況の中で、語り続けます。
私たちも、召し出された者、信仰者とされた一人です。このアモスの姿に倣いたい。
そして、主に期待したい。
主は、このような状況のイスラエルにも、最後には回復と祝福の言葉を与えてくださる。
もう一度、愛して祝福してくださると語ってくださっています。9章。
いつも、真摯に、素直に、主のことばを聞き続けなければ、主の回復と赦しのことばまで聞くことはできません。

厳しいことばを聞くことができる人が、主の回復と祝福の言葉を聞く人となります。
その人は、祝福された人です。
シャローム