「アハズは言った。「私は求めません。主を試みません。」」イザヤ書 7章12節
イスラエルのユダが攻め込まれている時、主はアハズに向って「主に、しるしを求めよ」と語ります。
特別なしるしを求めるように語ったのです。
それに対して、アハズが答えた言葉です。
表面的には主に信頼している言葉のように聞こえます。
試みないと、言うのです。
しかし、主が、しるしを求めよと語っているのです。
何故、アハズは求めないのでしょう。
この言葉は、自分で解決しますと答えているのです。
できないのに、主に委ねることができないのです。
「できることならば、助けてください」と言う祈りは間違っています。
「私には不可能ですが、主にはおできになりますから、助けてください」と、祈るべきです。
この時は、危機的な状況です。
イスラエルとの間に争いがあり、その上、アッシリアが攻めて来るのです。
アハズ王は、この事態を解決しなければなりませんが、方法はありません。
万策尽きているのです。
このような時こそ、主に全面的により頼む時です。
主は、特別なしるしを求めることを待っているのではなく。
主にしかできないことをアハズが求めて、主の前に祈ることを待っているのです。
主は、御心のままに私たちを助けてくださいます。
御心を動かすのは、私の謙遜でしかし大胆な祈りなのです。
不可能と思えることを、だからこそ主に求めるのは、主を試みることではなく、主に信頼して委ねることです。
シャローム