「しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。」コリント人への手紙 第1 12章18節
著者であるパウロは、ここ12章で、教会をキリストの身体に例えて、私たち人のからだと比較して教会の大切な働きと意味を教えます。
それはこの時、コリントの教会の中に、自分の持つ賜物(特に異言を語る賜物)について誇り、教会に分裂を引き起こしている人たちがいたので、それを静めて彼らに教えるためでした。
教会の中には、パウロやペテロのように、特別に召し出されて宣教の現場に遣わされる人もいます。
教会の中で指導者として、人々に仕える賜物を持った人もいます。仕えるのです。
そして異言を語ることができる人と異言を解き明かす人たちもいました。
これも主から与えられた賜物です。
私たちはそれを自分の力で手に入れたのではありません。
主が、教会の中に必要でふさわしい賜物として与えてくださったのです。
ここに。それぞれの部分と記されています。
それぞれが必要な部分であり、欠くことができない身体の部分なのです。
主が、教会が建て上げて行くことができるようにと、備えてくださったのです。
ですから、私たちのからだの部分が、自分だけ誇り他の部分を必要がないと言ったところで意味がないのと、教会も同じだと教えます。
だからこそ教会の他の人を尊び、謙遜にお互いが仕えていくのです。
それぞれの人が、主が教会のために、私のために備えてくださった大切な部分なのです。代わりはありません。
神のみこころが成るのです。
教会の兄弟姉妹を大切な存在として覚え。
私もやはり神が備えてくださった教会の大切な部分であることを覚えたい。
シャローム